白山神社について

御祭神

荻窪白山神社の御祭神は『伊邪那美命』(いざなみのみこと)とされています。
伊邪那美命は、その担った役目から、縁結びから安産、子育て、家内安全、一族繁栄など、人々の母神として篤く信仰されています。

当神社の由緒について

文明年間(1470年頃)、関東管領上杉顕定の家臣 中田加賀守が、生まれ故郷の加賀の霊峰白山を御神体とする白山比咩神社より屋敷内に分神を勧請し、屋敷内に五社権現社を奉齋した事が始まりと伝えられています。
のちに、中田一族が栄え、屋敷に参拝に訪れる下荻窪村(現在の荻窪近辺)の人達の願いにより下荻窪村の鎮守として遷座したと言われています。
江戸時代、当社を管理していました別当寺が火災に遭い、それに伴い当社の記録も消失してしまいましたので、当時の事は口伝で伝えられた事以外は定かではありません。

境内末社

神楽殿の裏には、中田加賀守の屋敷から遷された『正一位稲荷神社』を始め、下荻窪村の祈りのほこらであった『田守稲荷神社』、昭和の時代に荻窪の地域の人に懇願され勧請した『三峯神社』の三つが、境内末社として荻窪の界隈に災いが無く、幸せな実りが長く続くようにという祈りをもってお祀りされています。

現在の境内末社は平成16年に場所を遷し、新しい社となっております。
また、境内末社の奥に氏子の方々からお預かりしたお稲荷さんを狐霊保安庫にてお祀りしております。

歯痛除けの神様としての白山神社のいわれ

荻窪白山神社の逸話の一つとして、こんな話があります。

ある時、中田加賀守の弟兵庫が激しい歯痛に悩まされました。
その晩、白山の神様が「兵庫よ、我が社前に生える萩(はぎ)で箸を作り、食事をしなさい。そうすれば歯痛はすぐに癒えよう。」とお告げになりました。
お告げの通り、萩の箸で食事をすると、なんということでしょう!不思議にも今までの歯痛が嘘のように無くなりました。

それからというもの、この噂が村人にも広がり、遠くからも歯痛に悩んでいる人々がたくさん参拝するようになり、歯痛が治った人は、お礼にと萩の箸を神社に納めるのが慣わしとなりました。

昭和42年に社殿を改築するため、古い社殿を取り壊したところ、この逸話と御利益があらたかであった事を証明するように、社殿の長押からたくさんの萩の箸が出てきて、びっくりさせたそうです。

現在では萩の木がほとんど無くなってしまった事から萩で作られたお箸はお渡しして折りませんが、初宮詣のお供物としてお食い初めのお箸をお渡ししている他に、時期によっては『歯痛除けのお守り』の中にお箸に見立てた萩の枝を入れさせて頂く事があります。

屋根の十二支と猫の石像

当社の社殿は昭和42年に老朽化と環状八号線の拡張工事のおりに建替をした際、社務所の建て替えも行われました。
その際に当時の神社総代の瓦屋さんの手により、社務所の四方を守護するように十二支の瓦が奉納、設置され神社の方位を守護する十二支の姿として見られるようになりました。

十二支を決める話には諸説ありますが、一般的には猫はネズミに十二支を決める日を誤って伝えられ寝過ごしてしまい、十二支に入ることができなかったと言われています。
そんなお話を知っていた神主さんが「仲間はずれになるのは可哀想」と、のんびりと眠る猫の石像を参拝者の方の和みになるように境内に置き、仲間にいれてあげました。
2011年の東日本大震災の地震が発生し、社務所の瓦はすべて落ちてしまい、残念ながら十二支の瓦もすべて破損してしまいました。
しかし、地面に近い位置に居た石の猫は何事も無かったかのように残りました。
石の猫は、神社によく訪れる野良猫たちと共に、何事も無かったかのようにのんびりとお昼寝をしている姿を参拝者に見せ、震災で心を痛めた人たちの心を大いに癒やし、和ませました。
参拝に訪れる方々の心を少しでも和ませ、癒やしになればと、それから一つずつ石の猫は増えていきました。
今では、境内のあちこちに石の猫が見かけられるようになり、参拝者の方を和ませています。